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東京高等裁判所 昭和24年(ネ)120号 判決

控訴人 原告 深尾政彦

訴訟代理人 武田宣英 吉永多賀誠

被控訴人 被告 合資会社金森商店

訴訟代理人 早稲田逸郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し別紙目録記載の小切手一通を返還すべし、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする旨の判決並に仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、当審において双方の各代理人がつぎのとおり訂正補述した外その余は原判決の事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

控訴代理人は当審においてつぎのとおり訂正補述した。

(一)  素性の明瞭でない者から、売買代金決済方法として小切手を譲受けないという取引上の経験則がある。しかるに、被控訴人はこの経験則に反して素性の明瞭でない訴外木崎重雄から同訴外人盗取の本件小切手を受取つたものである。それ故に被控訴人は右木崎から小切手を譲受けるに当つては、小切手の振出人もしくは、支払人に対する照会その他の方法により同訴外人がこれを所持するに至つた事情を調査し、これを確かめることは正に通常人の採るべき措置であつたのである。

(二)  本件小切手は送金小切手であつて、他地払のものである。被控訴人は送金小切手を振出地で譲受けたものである。送金小切手は振出地で流通することは通常予想されず、仮りに極めて稀に流通するとしても、送金小切手の通常の予想に反し、極めて稀な事態として何故に流通に置かれたか、送金の途中で盗難、遺失の事故が起つたものではないか等を注意するのが当然である。送金小切手と通常小切手との間に右のような差異があるからその差異の点からも当然に特別の注意をしなければならない。

(三)  本件小切手は本件取引当時においては、相当高額の小切手であり、又当時の被控訴会社の取引としては相当大きな取引である。被控訴人としてはかような、高額な取引につき右訴外人との間に何等の信頼関係がなく、その小切手については何か不正があるかを疑いながら小切手の振出銀行に照会調査をすることなく三菱銀行神田支店において印章のみを照会して本件小切手を譲受けたものである。

(四)  以上述べたように、要するに被控訴人は本件小切手につき不正があるかも知れないと疑いながらもその小切手の成立、移転の関係につき調査する等通常人であれば何人も払うであろうところの注意をせずして、これを讓受けたもので、その讓受けたとき正に悪意又は重大な過失があるものである。

被控訴代理人は控訴人の右主張を争つた。

証拠として、控訴代理人は、甲第一乃至第十四号証を提出し、原審証人平尾賞三郎、当審証人木崎重雄、井上善太郎の各証言、当審における鑑定人平野{日震}の鑑定の結果を援用し、乙第一、二号証第六乃至第八号証の各一、二第九乃至第十五号証の成立を認める。乙第三乃至第五号証の原本の存在並びに成立を認めると述べ、被控訴代理人は乙第一乃至第五号証(第三乃至第五号証はいずれも写をもつて提出)乙第六乃至第八号証の各一、二乙第九乃至第十五号証を提出し原審証人平尾賞三郎の証言の一部、当審証人中村謙一、古川伊三郎の各証言、被控訴会社代表者金森桝太郎の本人訊問の結果を援用し甲第一乃至第六号証、甲第九乃至第十四号証の成立を認め、甲第七、八号証は不知と述べ、甲第二、第五号証を援用した。

理由

本件小切手は被控訴人が昭和二十二年九月十二日東京都千代田区神田須田町一丁目二十四番地にある被控訴人店舗で訴外木崎重雄にダイヤ入指輪二箇を代金三十万七千円で売渡した際その代金の支払として現金十万七千円と共に受取り、譲渡を受けたるものであることは当事者間に争がない。

しかるに、右小切手は訴外平尾賞三郎が同月十日株式会社三菱銀行大伝馬支店から振出をうけ、翌十一日控訴人が右訴外平尾賞三郎から交付を受けたものであつたが、翌十二日午前四時三十分頃大宮市宮町五丁目千六十三番地料亭金玉館で、控訴人が右木崎重雄のため盗取せられその占有を失つたものであることは原審証人平尾賞三郎、当審証人木崎重雄の各証言、成立に争のない乙第一号証、甲第二号証によつて認めることができる。

よつて、被控訴人は控訴人が盗取された本件小切手を訴外木崎重雄から取得するに当り、悪意又は重大な過失があつたかどうかについて考える。

小切手はいわゆる支払証券であつて、金銭支払の具として取引上転展流通するものであるが、実際上その授受は信用を基礎として行われるものであるから、商人が店頭の売買において、素性の明瞭でない、しかも一見信用をおくことのできないような人物から売買代金の支払として持参払の小切手を讓受けるというようなことは実際上一般的には行われないものであることは当審鑑定人平野{日震}の鑑定の結果並びに当審証人井上善太郎の証言を綜合してこれを認めることができる。したがつて、商人が店頭売買においてかような者から敢て小切手を讓受けようとする場合には、その小切手の振出人又は支払人に対し照会その他の方法で所持人がこれを所持するにいたつた事情を調査し、これを確かめることが通常人として採るべき措置であるということができる。なんとなれば小切手は往々にして偽造若しくは変造され、又は盗取され、若しくは遺失すること等があり得るからである。それ故に以上のような状況の下に以上のような小切手の讓渡を受けたものがあつたとすれば、その讓受人は他に特別の事情の認むべきものなきかぎり、その取得につき悪意又は重大な過失があるものといわざるを得ないであろう。本件においては、当審証人木崎重雄の証言、原本の存在並びに成立に争のない乙第四号証の記載(証人金森桝三郎訊問調書)、当審における被控訴会社代表者金森桝太郎の本人訊問の結果を綜合すると、被控訴会社金森商店は時計の卸売、時計貴金属の小売をし、今次戦争前には外国時計の直輸入代理店などもやつており、代表者金森桝太郎はシチズン時計株式会社の取締役で、その弟桝三郎は被控訴会社の無限責任社員であり、また殆んど営業全般にわたつて担当しており、相当手広く営業を励んでいるものであるが、訴外木崎重雄は昭和二十一年秋被控訴会社須田町営業所の開始後、しばしばダツトサン自動車で同店舗に乗付け白金指輪、高級なシガレツト・ケース、ライター等を数回に亘り合計五千円位の買物をした外、時にはダイヤモンドの指輪等の時価など訊ねたりしたこともあつたので、同店では当時右木崎重雄という姓名の者であるということは知らなかつたのであるが、一見裕福な四十年位の紳士であると思つていたものである。本件ダイヤモンド入指輪を買求めた日にも同人はいつものような風釆態度で午前十時頃店頭にあらわれ、丁度店先にいた被控訴会社代表者金森桝太郎に対し世間話などを仕掛けた末、実は新円が再封鎖になるらしいから、所持金を物に換えて置きたい、二、三十万円のダイヤモンド入指輪を買いたいと申し向け、乙第二号証の名剌(深尾政彦宛名あるもの)を差出したので、同代表者は外出中の弟桝三郎の帰店まで世間話などしている内に、桝三郎が帰店したのでその後は同人が主として応待した上、ダイヤモンド入指輪二箇を代金三十万七千円で売却し、右木崎重雄は代金として現金十万七千円と本件の額面二十万円の小切手を出したので、右桝三郎は成るべく現金にして呉れと申入れたが木崎は小切手の受領方を固持したので、桝三郎は代表者金森桝太郎と相談の上銀行振出のものであるから大丈夫であろうとなし、なお、念のため自己の取引ある三菱銀行神田支店に店員を馳せ、振出が真正のものであることを確かめたので、右現金と共に本件小切手を受取つた経緯を認定することができる。又乙第四号証、本人金森桝太郎の供述によると、被控訴会社では、本件小切手取得の翌日小切手盗難事故のあつたとの新聞記事を見るや直に本件小切手を他に支払のため讓渡しようとして居たのを取止めて警察署に自ら届出でたことも認められる。これらの認定事実によると被控訴会社代表者又は右金森桝三郎は右小切手が盗取されたものであるということを知つていた者、いわゆる悪意の取得者であることは到底認め得られないことは明かである。すなわち、被控訴人の右小切手の讓受けは善意であつたと見なければならない。唯、問題は小切手授受の際被控訴人に重大なる過失があつたかどうかである。なるほど被控訴会社の代表者又は金森桝三郎は右木崎重雄が前認定のように数回店頭で取引があり、また前認定のような風釆をしていた裕福な紳士と見えたとはいえ、その住所や姓名すら知らなかつた、顔見知りの客にすぎないのであるから、いわば素性の明かでない者というべきであり、商人として相当の注意をすれば、かような者から本件小切手を代金の支払として差出されても拒絶するを相当とする。さすれば、本件小切手を前示事情の下に讓受けたことについては被控訴人は一応軽卒のそしりを免れないであろう。

しかし、本件小切手の外に現金十万七千円という相当額の支払が同時に右木崎より支払われ且つその小切手が三菱銀行神田支店に店員を馳せ、同銀行大伝馬支店振出のものかどうかを確かめたところ間違いないことがわかつたばかりでなく、右木崎から其の時提示された乙第二号証の名剌により、買手は深尾政彦というもので神奈川県湯河原町宮の上五二二番地合名会社深尾電機工業所の経営者で相当の資力、信用のあるものと思い込んだので、その結果、一図に右は本件小切手の正当所持人であると考えるにいたつたものであることが窺われる。又証人中村謙一の証言によれば被控訴人が前記ダイヤモンド入指輪を売却するに当り異常な儲け方を目論んで居たものとも考えられない模様が見える。かような事情から考えると被控訴人にたとえ過失があつたとはいえ、その過失が重大な過失であるとなすべきではない。すなわち被控訴人は本件小切手を取得するに当り重大な過失があるものと断ずるに足りない。

なお、本件小切手は送金小切手で他地払のものであり、被控訴人は小切手を振出地で讓受けたのであることは当事者間に争のないところである。なるほど、送金小切手は送金の目的のために振出されるものであるからその使命からいえば、所持人が支払地に於て支払銀行からその支払受けるのが普通の経路であるが原本の存在並びに成立に争のない乙第五号証の記載(証人森喜平の訊問調書)、当審証人中村謙一、古川伊三郎の各証言当審における被控訴会社代表者金森桝太郎の本人訊問の結果によると時計その他貴金属の取引界においては送金小切手も振出地で転展流通している実情であることが認められる。右認定に牴触する甲第七号証の記載、当審証人井上善太郎の証言は信用し得ない。また送金小切手は、送金の目的の下に振出され他地払のものであることは勿論であるが、小切手としては法律上普通小切手となんら異なるところがないものであるからこれを讓受けるに当り、普通の小切手以上に特別の注意をしなければならないものということができない。本件につき被控訴人が、控訴人主張のように特別の注意をしなかつたとしてもその取得につき悪意又は重大な過失ありと断ずべきでない。

また、被控訴人主張のように本件小切手は本件取引当時においては、相当高額の小切手であり又当時の被控訴会社の取引としても相当大きな取引であつたとしても被控訴人が前示のような業者である点を考慮に入れて見ると此程度に於て小切手が高額のものであるとか、取引が大取引であるというようなことは本件小切手を讓受けるにつき特別の注意をこれが取得者に科すべき筋合のものでないことは言を待たないところである。また控訴人主張のように本件小切手につき何か不正があると疑うべき情況あると認むるに足る証拠は一つもないから、本件小切手の讓受につき悪意又は重大な過失があるといい得ない。

以上説明のように、被控訴人は本件盗取された小切手の讓受につき悪意又は重大な過失があるといい得ないから被控訴人は本件小切手を原始的に取得したものというべきで、従つて被控訴人はこれを控訴人に返還する義務を負うものでない。原審が控訴人の請求を理由なきものとして、棄却したのは相当で本件控訴は理由がない。

よつて民事訴訟法第三百八十四条、第八十九条、第九十五条に則り主文のように判決する。

(裁判長判事 中島登喜治 判事 箕田正一 判事 小堀保)

別紙目録〈省略〉

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